【 シロクマ冬眠記!】

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写真で綴る徒然日記

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ホンダ宗一郎

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

F1でのホンダターボエンジンの圧勝を面白く思わないFISA(現FIA)は
ターボエンジンを禁止、NA(自然吸気)エンジンのみの規制を掛けた。
これに憤慨したチーム監督の桜井淑敏らは本田宗一郎に直訴したが、
それを聞いた本田は
「ホンダだけがターボ禁止なのか?違うのか、馬鹿な奴等だ。
ホンダだけに規制をするのなら賢いが、
すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。
で、なんだ話ってのは?」
それを聞いた桜井等は「いいんです、何でもありません」
と嬉しくなってしまった。

いよいよ、ラスト鈴鹿…

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by whitekuma | 2006-09-30 17:20

求む明日

決められたことなど、何もありはしない。
決まったことなど、どこにもあるはずない。
ましてや、答えなどありはしない。
何を求める?
あるのは、予測もつかない明日だけだ。

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by whitekuma | 2006-09-28 02:25

スタート!

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by whitekuma | 2006-09-27 19:02

都会のオアシス...

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by whitekuma | 2006-09-27 02:07

Love 神保町!

何度目でしょうか。神保町ネタは。
興味のある人は検索してみてください。
正解は3度目です。

今日は、“あの”マミーです。
“あの”っても、俺の中で“あの”です。
もう10年前ぐらいに通っていた店。
揚げ物専門の洋食屋さんです。
いくつか揚げ物のバリエーションでメニューがあり、
皆「おすすめ」を食べるんだけど、
俺は「Cセット」しか食べたことがない。
その「Cセット」とは、
エビフライ2本と豚ヒレカツ2枚。
昔は巨大なエビフライがうれしくて、
で、その総合的な量が大満足で大好きなランチだった。
そして、ここの親父さんが良かった。
ずぅ~っと揚げてる。ずーっと。
「ぃらっしゃぃ...」って小声で言うだけで、
ずっと揚げてる。なんだかそれが好きだった。
が、途中で親父さんが倒れ...
おばちゃんと、娘とおぼしき人の二人体制に。
海老の値段が上がり、海老が縮小し、俺は神保町を去り...
それから約10年。ホントに久しぶりに訪れたマミーは、
何も変わっていなかった。
「あれぇ~、久しぶり!」とでも言われることを少しだけ期待したが、
そうではなく、昨日来たかのように「いらっしゃい」とおばさん。
さすがに昔のように、「行ってらっしゃい」とは言われなかったし、
海老も、ついには開いて揚げてたけど、
ご飯も、キャベツの味噌汁も、味も、何も変わっていなかった。
とってもうれしかった。タイムスリップしたみたい。
あ、唯一変わったのは、全部食い干すのが難儀になったぐらい;;;

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by whitekuma | 2006-09-26 00:10

新宿

久しぶりに新宿で飲んだ。
後輩のカメラマンと。
いやぁ~すっかり意気投合。
いやぁ~やったるでぇ~~~
で、久しぶりに...
といってもこの界隈で飲んだことは無かったので、
かなり面白かった。常食にしそう。ゴキブリいたけど...^^;
ちなみに↑ここ、2年ぐらい後にはなくなっちゃうそうです。
東京とはそういうところです。

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by whitekuma | 2006-09-22 00:44

物の見方

去年の夏に、「8月」というタイトルでブログに書いた原爆の話。
なんと恥ずかしいことを書いたことか。
最近その手の文章を読んで、本当にハッとした。
「そういうこともあったのか...」と。
彼らが、その事象について語るとき、
その当事者のことを具体的に挙げずに語っている背景には、
彼ら自信に対する“差別”という現実があったようだ。
当時の世の中にある、冷戦構造と反米、反共という嵐の中で、
彼らも少なからず、今ではあまり考えられないが、
そのような見られ方をしたという歴史もあるとのことだった。
そんなことも知らずに、
まるで彼らが仏であるかのような見方しかしなかった自分が、
恥ずかしいし、恐ろしい。

何も知らずに物を言うということは恐ろしいことだ。
あわよくば、物を言うだけなら良いかもしれない。
ギャーギャー騒ぎ立てるだけだったら、何も責任は発生しない。
しかし、
それについて本気で行動するのであれば、知らないことは罪だ。
であれば、
安易な知識だけで、行動を即すことも罪ではないか。

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by whitekuma | 2006-09-19 00:56

生と活

生きているのか、死んでいるのか。

わたしたちの国は昭和の時代に戦争をした。
その戦争では、300万人以上が犠牲となったと言われている。
軍人も民間人も...
とにかく、この国の人だけでも300万人以上が死んだのだ。
東京では、一夜にして8万人以上が死に、
広島、長崎でも10万人前後の人が、
その一瞬の出来事が原因で死んでいる。
もう一度言う。
数年で、300万人以上の仲間が死んでいる。
そして全国民1億人が、
仲間300万人が死んでいるという現実とともに、
自分達も、死を宣告されながら生きていたと思う。
いつ来るか分からない空襲。
いつ始まるか分からない攻撃。
いつ尽きるか分からない食料。
いつ出るか分からない命令。
決死でも、必死でもない、「死ね」というやり方。
そこには明らかに、充満する死の影があったはずだ。

ところがだ。
この手の話のドキュメンタリーや、手記や、文章を読んでいると、
その暗澹たる世の中の状況とは逆の、人々の輝きを感じることがある。
当時の本当の世俗は自分には分からない。
それは、場所によっても、人によっても違うと思う。
しかし、このような状況だからこそなのか、
晴れ晴れとした、さっぱりとした、
それは上辺だけのお題目や、教育や、統制の結果などではなく、
それこそ、死が満ちている中の、生の輝きをたまらなく感じることがある。
あのような世の中が、良い訳はない。
そうなって良いはずはない。
では...
あの、彼らの、自分達の祖父母の時代に感じる、
あの感覚とはいったい何なのだろうか。

そしてその後、死を宣告されていたであろう1億人の人達は、
ある日突然に、その死の宣告から開放される。
それは恐らく、仲間300万人の犠牲者と引き換えに、
与えられた命、「与命」と感じた人も多かったのではないだろうか。
それは、
その後の戦後復興から、高度経済成長期、
更にそれに続いていく世の中の混沌の中で、
全員の共通認識があったような気がしてならない。
与えられた命。
引き換えられてしまった命。
それは、日々意識したり、がなったりするようなスローガンではなく、
潜在的に存在する、意識の共通認識のようなもの。
それが、この奇跡的な復興、成長を支えたと共に、
社会の規範をなし、世の中をまとめていったのではないだろうか。

そして、わたしたちの世代には、それは無い。皆無だといってよい。
「この今の腐れた世の中...」
と、のたまっただけで、鼻で笑われそうなこの虚無の中で、
これらの土台の上に居ながら、
その世の中から享受されるものだけで、
脳天気に生きながらえているこの世代が、
はたして、生きているのか、死んでいるのか。

今や贅沢を言わなければ、生活していくのはそう難しいことではない。
だからこそ、
どのような世の中が良い世の中なのか、
どのような世の中が素敵な世の中なのか、
そのイメージすら沸かないこの時代に、
それらを模索する義務があるのではないか。

果たして、我々は、活きているのか?

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by whitekuma | 2006-09-16 23:58

冬眠…

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by whitekuma | 2006-09-15 18:21 | 携帯投稿板

おことわり…

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ログインユーザー以外の書き込みを禁止しました。
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by whitekuma | 2006-09-14 14:08